色彩感覚DNAによる誤解排除作戦
2003年10月26日 メイク・ファッション・ピアス ブルーベース、特に冬はこの季節に困る。秋らしい茶系の色合いが似合い難いのだ。ブルベ冬が得意とする色は黒・赤・紫などの強い色であり、同じ黒・赤・紫でも淡いパステルカラーのような色合いになると変わってくる。そしてこれらの強い色は扱いが難しい。色同士が喧嘩し易く、下手な合わせ方をするとただの派手な人になる。と知ったのは最近である。昔は淡い色合いの服やメイクを好んでいたがイマイチ評判が芳しくなかった。オレンジ系メイクをした日には頗る顔色が悪く見えるのが不思議でならなかった。ブルーベースと知り、やっと合点がいった。ブルーベースにとってオレンジ色は鬼門なのである。なので避けるようになった。私のワードローブは今、黒・赤・紫・青系、そしてその中でもくっきりした色が大半を占めている。飽きてきた。
日本人の主食は米だ。白米は美味しい。けれど毎日毎食が米では飽きがくるのでパンやパスタも食す。色も同じである。毎日同じ色に囲まれていれば飽きがくるのは自然なことだ。そして形にばかり拘るようになり、色への挑戦がなくなるのもつまらない。人間、他者を見るときにまず目が行くのは顔であろう。因ってメイクは今迄通りの路線を崩せない。こちらは崩さなくても自分の中で飽きがきていないので良い。またカラーコスメには様々な質感及びテクスチャ、個々での発色の違いもあるから良いのだ。問題は衣類及び服飾小物である。こちらも様々な素材やデザインがあるのだが何故か飽きてきた。飽きがきた原因は、元来私がパステルカラーや所謂シビラカラー好きという要因が強いからだと思われる。まずはオレンジ色のスニーカーを購入してみた。苦手な色を使う際に顔から遠い位置に置くのは定石である。メイクに苦手色を取り込まないのもこれが理由である。購入したもののサイズが合わなかったという理由で、親が最近くれたパンツとシャツがたまたまオレンジ色を使ったものだった。親はベースカラーの概念を知らない。説明するのが面倒なので教えていない。これらのアイテムは練習素材に適している。オレンジ1色ではなくベースがあった上にオレンジで柄が作られている物なので取り入れやすいのだ。
日本人のファッションセンスは海外のそれに比べて劣っているという説が根付いている。モデル等のインタビュー記事でも「参考にしているのは海外ファッション誌のスナップ」という答えをよく見る。けれど本当に日本人のセンスは劣っているのだろうか? どこかで「日本人は色合わせが上手である」という話を読んだことがある。根拠は平安時代に遡る。その昔、日本人は和装をしていた。着物である。着物には重ねが使われる。襟元を幾重にも重ね、少しずつずらして下の襟の色を見せる。グラデーションを利用するような無難なものだけでなく、奇抜とも言える色合わせもある。しかし上手い、と感心できる綺麗さがある。また着物を締める帯も多彩だ。この色の着物にその帯を持ってくるか! と思わされることも多々ある。原色・パステル自在に操る平安人は凄かった。その血を継いでいる現代人にも色彩センスのDNAは宿っている筈だ。宿っているだけでは意味がない。宿って眠っているそれを叩き起こしてこそ意味があるというものだ。
色彩の際たる教師は自然である。白い雲が流れる青い空の下に茶色の木が立つ。その木には緑の葉が茂り黄・赤・橙などの花を咲かせて実を成らす。空は時間によって赤から黒を経て青へと至る。葉も緑から赤や黄に季節に伴い色を変化させる。青系グラデーションから緑系を経て黒へと至る海の隣には灰色の砂浜があり、臙脂色のヒトデや茶と白のマーブル模様の貝を背負ったヤドカリがいる。海の中にはメタリックな鱗を持った魚や彩り鮮やかな熱帯魚、えげつない色合いの深海魚迄の多種魚類が生息している。これらの自然を見、個々の単色の好みは別として、この色にその色はないなあ……と思う者はいないだろう。三原色だ補色の関係だなどという理論は全て後付けである。知っておくに損はない。しかし知らなくても影響はない。ブルース・リー理論。考えるんじゃない、感じるんだ。そう思いつつも好みはある。私は黒い靴に茶色い靴下は納得できない。黒い鞄に茶色い靴もナシだ。白と生成りもナシだし、ピーチとピンクの同時使いもナシだ。個人的好みの問題なのかどうかは知らない。ただ、私にとってはナシだ。
また最近迄トップに濃い色を持ってきてボトムに淡い色を持ってくるのもナシだった。バランスが悪く思えてならなかった。バランスというよりも安定感と表現した方が判り易いか。地に足を付けると言うように、下の方に濃い色を使う方が安定感があるように思えてならなかった。なので白いスカートや黒いシャツは持ってはいても全然出番が回ってこなかった。街で人を見る。雑誌を見る。淡い色のボトムに濃い色のトップスを合わせている人は少ない。少ないが、いる。その中の半分くらいの人は特に安定感を失ってはいない。色だけの問題ではないことに気がついた。ボリューム感や素材感の使い方が上手いのだ。タイトな濃緑のトップスに生成りのボリューム感あるパンツを合わせていたりする。インディゴデニムに逃げない。透け感のある濃色トップスにツイードやヘリンボーンの淡色ボトムを合わせる。そして淡色で大きめの帽子を被る。小物使いも上手いのだ。何を着ても印象の変わらない人がいる。つまらない。当人も楽しくないだろう。私は楽しくない。なのでインパクトある物に逃げて変化を付けていた。インパクトある物には大きな欠点がある。一度着たらすぐに人に覚えられてしまい、またあの服を着ている、と思われてしまうのだ。癪である。なので着回し。だから色合わせ。こういう勉強は楽しい。
着飾る、という言葉には余り宜しくない印象がある。けれども大概の人は第一印象をパッと見で決める。ある程度の着飾りは必要である。或る友人と私とに共通点がある。他人様に持たれる第一印象が中身と余りにも違うという点だ。友人は捌けた人格にも関わらず気難しそうに見られるらしい。私はひねくれ者なのに優しそうに見えるらしい。友人が生む誤解を私は羨ましく思う。外見が莫迦の篩い落としに一役買っているからだ。そして気難しそうに見える人間が実は捌けた性格だと知られたら好印象を持たれる。私は逆だ。ひねくれた底意地の悪い性格なのに人懐っこく優しそうに思われる。と或る会社で勤め始めたとき、大きな猫を5匹程被って仕事をしていた。いい歳なのに人見知りするので打ち解ける迄に少々時間を要した。その時期とても貧乏だった為、昼食代を浮かせようとお弁当を持参していた。これも災いした。トイレでの化粧直しでアナスイやスティラを多用していたのも災いの一因かと思われる。打ち解けてから同僚が言った台詞がこれだ。「前職はお花屋さんだと思っていた」。本人を前に爆笑させてもらった。私の前職はエロ・博打系のフリーライター兼エディターであり、一時期はホステスや風俗もしていた。お花屋さんなんてかわいい印象の仕事は生まれてこの方したことがない。今後もしないだろうし不向きだという自覚があるのでできないだろう。
その職場ではジーンズが禁止されていた為、スカートを穿いていくことが多かった。ツモリの花柄縮絨ミドル丈スカートやレッセパッセの中綿入りロングスカート、コキュの刺繍入りモヘアカーディガンなどを着て行ったときには老若問わずかわいいと褒められた。私はかわいい服が好きなのだ。友人は学生時代から何度も外見と内面を近づけようとしている。しかしそう上手くは行っていないようだ。私は……ティアードスカートやフリルを嫌いにならない限りこのような印象を持たれ続けるのだろう。損である。人懐っこそうな優しそうな印象の人間が実は風俗上がりでエロ・博打好きだと知ったら人は落胆する。こんな人だと思っていなかった、…
日本人の主食は米だ。白米は美味しい。けれど毎日毎食が米では飽きがくるのでパンやパスタも食す。色も同じである。毎日同じ色に囲まれていれば飽きがくるのは自然なことだ。そして形にばかり拘るようになり、色への挑戦がなくなるのもつまらない。人間、他者を見るときにまず目が行くのは顔であろう。因ってメイクは今迄通りの路線を崩せない。こちらは崩さなくても自分の中で飽きがきていないので良い。またカラーコスメには様々な質感及びテクスチャ、個々での発色の違いもあるから良いのだ。問題は衣類及び服飾小物である。こちらも様々な素材やデザインがあるのだが何故か飽きてきた。飽きがきた原因は、元来私がパステルカラーや所謂シビラカラー好きという要因が強いからだと思われる。まずはオレンジ色のスニーカーを購入してみた。苦手な色を使う際に顔から遠い位置に置くのは定石である。メイクに苦手色を取り込まないのもこれが理由である。購入したもののサイズが合わなかったという理由で、親が最近くれたパンツとシャツがたまたまオレンジ色を使ったものだった。親はベースカラーの概念を知らない。説明するのが面倒なので教えていない。これらのアイテムは練習素材に適している。オレンジ1色ではなくベースがあった上にオレンジで柄が作られている物なので取り入れやすいのだ。
日本人のファッションセンスは海外のそれに比べて劣っているという説が根付いている。モデル等のインタビュー記事でも「参考にしているのは海外ファッション誌のスナップ」という答えをよく見る。けれど本当に日本人のセンスは劣っているのだろうか? どこかで「日本人は色合わせが上手である」という話を読んだことがある。根拠は平安時代に遡る。その昔、日本人は和装をしていた。着物である。着物には重ねが使われる。襟元を幾重にも重ね、少しずつずらして下の襟の色を見せる。グラデーションを利用するような無難なものだけでなく、奇抜とも言える色合わせもある。しかし上手い、と感心できる綺麗さがある。また着物を締める帯も多彩だ。この色の着物にその帯を持ってくるか! と思わされることも多々ある。原色・パステル自在に操る平安人は凄かった。その血を継いでいる現代人にも色彩センスのDNAは宿っている筈だ。宿っているだけでは意味がない。宿って眠っているそれを叩き起こしてこそ意味があるというものだ。
色彩の際たる教師は自然である。白い雲が流れる青い空の下に茶色の木が立つ。その木には緑の葉が茂り黄・赤・橙などの花を咲かせて実を成らす。空は時間によって赤から黒を経て青へと至る。葉も緑から赤や黄に季節に伴い色を変化させる。青系グラデーションから緑系を経て黒へと至る海の隣には灰色の砂浜があり、臙脂色のヒトデや茶と白のマーブル模様の貝を背負ったヤドカリがいる。海の中にはメタリックな鱗を持った魚や彩り鮮やかな熱帯魚、えげつない色合いの深海魚迄の多種魚類が生息している。これらの自然を見、個々の単色の好みは別として、この色にその色はないなあ……と思う者はいないだろう。三原色だ補色の関係だなどという理論は全て後付けである。知っておくに損はない。しかし知らなくても影響はない。ブルース・リー理論。考えるんじゃない、感じるんだ。そう思いつつも好みはある。私は黒い靴に茶色い靴下は納得できない。黒い鞄に茶色い靴もナシだ。白と生成りもナシだし、ピーチとピンクの同時使いもナシだ。個人的好みの問題なのかどうかは知らない。ただ、私にとってはナシだ。
また最近迄トップに濃い色を持ってきてボトムに淡い色を持ってくるのもナシだった。バランスが悪く思えてならなかった。バランスというよりも安定感と表現した方が判り易いか。地に足を付けると言うように、下の方に濃い色を使う方が安定感があるように思えてならなかった。なので白いスカートや黒いシャツは持ってはいても全然出番が回ってこなかった。街で人を見る。雑誌を見る。淡い色のボトムに濃い色のトップスを合わせている人は少ない。少ないが、いる。その中の半分くらいの人は特に安定感を失ってはいない。色だけの問題ではないことに気がついた。ボリューム感や素材感の使い方が上手いのだ。タイトな濃緑のトップスに生成りのボリューム感あるパンツを合わせていたりする。インディゴデニムに逃げない。透け感のある濃色トップスにツイードやヘリンボーンの淡色ボトムを合わせる。そして淡色で大きめの帽子を被る。小物使いも上手いのだ。何を着ても印象の変わらない人がいる。つまらない。当人も楽しくないだろう。私は楽しくない。なのでインパクトある物に逃げて変化を付けていた。インパクトある物には大きな欠点がある。一度着たらすぐに人に覚えられてしまい、またあの服を着ている、と思われてしまうのだ。癪である。なので着回し。だから色合わせ。こういう勉強は楽しい。
着飾る、という言葉には余り宜しくない印象がある。けれども大概の人は第一印象をパッと見で決める。ある程度の着飾りは必要である。或る友人と私とに共通点がある。他人様に持たれる第一印象が中身と余りにも違うという点だ。友人は捌けた人格にも関わらず気難しそうに見られるらしい。私はひねくれ者なのに優しそうに見えるらしい。友人が生む誤解を私は羨ましく思う。外見が莫迦の篩い落としに一役買っているからだ。そして気難しそうに見える人間が実は捌けた性格だと知られたら好印象を持たれる。私は逆だ。ひねくれた底意地の悪い性格なのに人懐っこく優しそうに思われる。と或る会社で勤め始めたとき、大きな猫を5匹程被って仕事をしていた。いい歳なのに人見知りするので打ち解ける迄に少々時間を要した。その時期とても貧乏だった為、昼食代を浮かせようとお弁当を持参していた。これも災いした。トイレでの化粧直しでアナスイやスティラを多用していたのも災いの一因かと思われる。打ち解けてから同僚が言った台詞がこれだ。「前職はお花屋さんだと思っていた」。本人を前に爆笑させてもらった。私の前職はエロ・博打系のフリーライター兼エディターであり、一時期はホステスや風俗もしていた。お花屋さんなんてかわいい印象の仕事は生まれてこの方したことがない。今後もしないだろうし不向きだという自覚があるのでできないだろう。
その職場ではジーンズが禁止されていた為、スカートを穿いていくことが多かった。ツモリの花柄縮絨ミドル丈スカートやレッセパッセの中綿入りロングスカート、コキュの刺繍入りモヘアカーディガンなどを着て行ったときには老若問わずかわいいと褒められた。私はかわいい服が好きなのだ。友人は学生時代から何度も外見と内面を近づけようとしている。しかしそう上手くは行っていないようだ。私は……ティアードスカートやフリルを嫌いにならない限りこのような印象を持たれ続けるのだろう。損である。人懐っこそうな優しそうな印象の人間が実は風俗上がりでエロ・博打好きだと知ったら人は落胆する。こんな人だと思っていなかった、…
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