今年一番嬉しかったのは、一度だけ会ったことがあるうちのの友人が私のことを「可愛いだけではなく綺麗な彼女」と評してくれたことである。可愛く綺麗。最強! ではない。一度でかい猫を被って会っただけの相手なので私の本性を知らないのだ。私を熟知している人間は皆、私をこう評する。黙っていれば可愛いのにね。どうも口を開くと可愛くないらしい。うちのはその友人の言葉を聞き、もう二度と会わせまいと決意したようだ。私もその人には幻想の私のみを知っていて欲しい気もするので会わなくて良い。

 私の母親は美人である。老いた今でも彼女の同世代の一般女性と比較すれば美人の部類に入るだろう。若かりし頃はモデルやイメージガールを勤めたこともあったらしい。今は亡き実の父親も石原裕次郎似のいい男だった。両親の写真を仲の良い友人に見せたとき、友人は写真に見入り、それから私へと視線を移して「可哀相に……」と述べた。それでも一応は十人並みよりもやや上に位置する程度の容姿は持っていると他者に認識はされている。しかしこれも成人してからの話である。十代の頃の私は酷かった。私ならあんなのに勃たないと断言できる。当時の彼氏たちは頭が沸いていたに違いない。中学生の頃が一番酷かった。容姿に気を配るのは莫迦のすることだと思い込み、お洒落やメイクには一切興味を持たず、本ばかりを相手にしていた。義務教育を終え、少しばかり色気づいてパーマをかけてみたりした。だが基本的には変わらなかった。様々な物事への知識欲の方が強く、容姿は二の次三の次。変わったのは彼氏が出来てからだ。好きな相手には可愛いと思われたいのが女心である。お洒落やメイクにやっと興味が湧いた。皆が通る道だとは思うが、最初は勘違いから始まる。

 まず最初に私の気を惹いた服はピンクハウスだった。カネコイサオによって少女の狂気の象徴として表現されたフリルやピコレースを狂気だとは気付かず、単純に可愛いと思い身に纏いたくてたまらなかった。しかしそれは金銭的に叶わぬ夢であり、また叶わなかったことを今は良かったと思っている。有難う、価格設定の高いピンクハウス及びワンダフルワールド。その後、設立されてまだ間がなく、価格設定も今より低めだったパウダーに興味を持った。リアルな動物プリントが売りでチャイナテイストが薄かった頃だ。私がバイトをして自分の稼ぎで初めて買った服はパウダーの乳牛プリント長袖カットソーだった。10年は着たであろう。シチューを作っているときに大きなシミを作ってダメになり、やっと処分した。気に入った服は何年でも平気で着る。基本的に流行を追わないのである程度の年月は着用可能なのだ。それからシビラ・ホコモモラ・ツモリチサト・ズッカ・コムデギャルソン等を経てミルク・ヴィヴィアンウエストウッド・ヒステリックグラマー・オゾンコミュニティーに興味が移り、現在はスナオクワハラとなったi.s・コキュ・スカラー等に加えアンティーク物を好むに至る。またセレクトショップ物や一点物、インディーズ物も好きである。ピンクハウス同様、興味を持ったブランドの服全てに袖を通してはいない。特にヴィヴィアンなどは高価すぎてTシャツやツインニットが限界である。数年前、ヴィヴィアンでとても気に入ったコートがあったが20万を軽く超える価格でとてもではないが手が出せなかった。今でも欲しい。似合うかどうかは別である。

 好きなものと似合うものは別だ。これに気付き、両者の折合いを付けられるようになる迄に人はどれ程の年月を要するのだろう。私は5年以上かかったように思う。私が好きな服や小物はクセのある物である。しかしどうもシンプルな物の方が似合うらしい。その折合いがアオザイ+デニムであり、シンプルなカットソー+バルーンスカートであり、シンプルな服上下+クセのあるアクセサリや小物だ。数ヶ月前、友人に会い、翌日メールを貰った。昨日の恰好、可愛かったよ。私の折合いは成功しているようだ。うちのに感謝している。うちのは褒めない人間だ。可愛いと言う代わりに普通と言い、変だと思った物はボロクソに貶しまくる。かなり鍛えられた。また服の扱い方を教わった。以前の私はデニムパンツを毎回穿くたびに洗濯していたのだが、一緒に暮らすようになりその行為を注意された。それではいつまで経ってもヒゲができないではないか、と。デニムパンツにヒゲで味を出すということを知らなかった私はひとつ賢くなった。そして服への扱いがぞんざいなことも注意をされた。私は部屋の埃が気にならないように、衣類の色褪せや変色等も余程酷くならない限りは気にならない人間であるが、うちのはこういったことに煩い。うちのの衣類も私が洗濯して畳んで片付けて……と管理するようになり煩く言われるようになった。白いシャツにはカバーをかけないと煙草の脂で変色する、たまにしか着ないスーツを出しっぱなしにしていると日で色褪せる等。ついでに私は服の皺も余り気にならない。大阪の杭道楽・京都の着道楽・神戸の履き道楽。私の母親は京都の出の着道楽であり、その血を継いだ私も着道楽である。徒に大量の衣類を保有している。母親と私の違いは収納の仕方だ。母親の収納は丁寧であるが、私の収納は最早収納とは呼ばれない。ただの詰め込みであるらしい。これと同様にうちのの服を詰め込んでいたら怒られた。母親とうちのは似ている点が多い。細かいことに煩い。皺が気になるようだ。なのでうちのの衣類は極力皺にならないように収納するようになり、私の衣類も以前よりはほんの少し皺が減った。私にとっては皺なんてどうでもいいことなのだが。

 流行を取り入れるようになったのは最近である。我が道を行く服装に限界を感じたのだ。私の手持ちの服は悉くレイヤードスタイルに向いていなかった。レイヤードに興味を持った。散々莫迦にしていた所謂スカパンをしてみたくなったのがきっかけだ。私は貧乏性である。1000円しか違わない同柄同色の二種のシャツがあったとする。違いは長袖か半袖か。ならば長袖を買う。同じく同価格同形の二種の服が在ったとする。違いは柄物か無地か。ならば柄物を買う。その方が得な気がするからだ。従ってほんの少し前まで私のクローゼットは柄物ばかりであった。ダメである。上下で違う柄物を合わせるのはとても難易度が高いのだ。トップス同士・ボトムス同士も然り。なので手持ちの服を活かせそうなシンプルな物を敢えて購入するようになった。そして大きく変わったのは靴・帽子・ベルト等の服飾小物に拘るようになったことである。小物で流行を取り入れればいいことに気付いた。また服に小物をプラスすることでより洒落て見えることにも気付いた。ファッション誌の素人スナップ写真に真似したいと思う物は殆どないが、ヒントを得ることは多い。流行のヒントはmini、着回しのヒントはnonno。歳相応の雑誌でないことは承知だ。

 明日に続く。タイトルは高橋直子著「お洋服はうれしい」より。

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