夕方、学生時代の友人から電話があり「今から仕事で黒猫の家の近くに行くのでお茶でもどう?」と誘われた。急に誘われると困惑する。よく電話やメールをする友人たちは私への当日誘いはしてはいけないことを知っているが、今日誘ってくれた友人とは暫くメール等していなかったのでその掟を知らなかったのだ。なのでばっちいまま会った。ばっちい帽子で更にばっちい頭を隠し、数日起きているときも寝ているときも着っぱなしのカットソーにブルゾンを羽織り、同様に寝るときも穿きっぱなしのジーンズ姿で。基本的に私はばっちい。眉や産毛や腋の処理はしているが、入浴は余りできない。入浴そのものは大好きだ。実家の風呂や銭湯だと2時間程かけてゆっくり入る。その後のスキンケアやボディケアも怠らない。しかし入浴に対するやる気そのものが今は沸かないし、そもそも昔から入浴の必然性を感じていなかった。不精なのも確かに原因のひとつだ。入浴しなくて死んだ人間はいない。掃除も然り。入浴も掃除も私にとっては他者への配慮なのである。ばっちい人間と遭遇する人は不快感を持つであろう、ばっちい部屋に招かれる人間も不快感を持つだろう。従って私にとって入浴及び掃除は人に不快感を与えない為の気配りに他ならない。因って日常の行為に入浴や掃除は含まれない。着替えないのも洗濯物を増やさない為だ。ここに書いた他者にうちのは含まれていない。うちのにとって入浴や掃除は自分の為のことらしい。自分が不快感を覚えない為にそれらをこなすそうだ。私は入浴しなくても掃除しなくても不快感を感じない。それがうちのには解せないとか。そしてうちのは私の中で他者として認識され、不快感を与えられないようにして欲しいらしい。善処したい気持ちはあるが諸事情により行動が伴わない。うちのはその諸事情を理解はできても納得はできないようだ。

 昔から入浴の手順は変わらない。脱衣→メイククレンジング→洗顔→プレシャンプー→シャンプー→身体を二度洗う、または垢すり後に身体を一度洗う→泡を流す前に無駄毛処理→トリートメント→歯磨き→トリートメントを流す→足裏を専用洗浄剤で洗う→洗顔。浴室を出たらまず髪と身体の水気を取る→下着をつける。その後スキンケアに取り掛かる。精製水スプレーでカルキ流し→拭き取り化粧水→美白化粧水→保湿化粧水→美白美容液→化粧液→保湿パック。次にボディケア。全身にボディ用化粧水→ボディローション→肘・膝・踵・脛にボディバター。その後ヘアケア。ヘアミルクを頭皮に付かないように気をつけつつ髪に馴染ませる→ドライヤーで髪の根元を乾かす。最後にハンドケア。ネイルとその周辺及び手荒れの酷い場所にオリブ油を馴染ませる→ハンドクリームを擦り込む。時には入浴前にガスールパックや椿油パックをしたり、入浴後に美容液パックもする。面倒であるが、いざ入浴となるとこの全てをこなさなければならない。世間的にはこなさなくてもいいらしい。或る友人に「1回の手順を1/4にして毎日入浴すればいいのに」と言われたことがある。うちのも同様のことを言う。しかし私には「1/4にする」ということが何故かできないのだ。固執的完璧主義なのだろう。

 今日会った友人は兼業主婦である。旦那との仲も良く仕事も順調。当然ばっちくみすぼらしい私と違って身綺麗でもあった。暫く連絡を取り合っていない間に入院したりなんだりという苦労もあったようだが、今は社会復帰できている。話題の中心はお互いの病気の話。彼女が私を見て発した第一声は「痩せた?」だった。確かに痩せた。少し前まで体重は減少する一方であり、最近になってやっと安定してきてはいるものの私的適正体重にはあと8kg足りない。昔は食事が大好きだった。付き合った男性の殆どに「黒猫の食べている姿は嬉しそうで美味しそうで、こっち迄嬉しくなる」と言われた。今は処方された漢方薬が合ったのか、どうにか一日に少量ではあるが二食は摂れるようになった。最早、食事ではなく食餌である。一番酷いときは食べ物を見ただけで喉に閉塞感を感じ吐き気を催した。痩せゆく私を見てうちのは心配してくれた。親に会ったときには泣かれてしまった。それくらい貧相な身体をしている。元々Eカップには程遠い貧乳の主だが、更に小さくなっている。痩せて良かったことはきつかったスカートがまた穿けるようになったことくらいか。主治医曰く、私の諸事情は幼児期からの親子関係に問題があるらしい。体重減少について相談した際に幼少時の食事の思い出について訊かれ、答えた。主治医は会ったこともない私の親を非常に嫌っている。私が話したエピソードでその嫌悪感を増したようだ。私だけでなく友人も以前より痩せていた。人は病むと痩せる傾向がある。心か身体かは別としての話だ。

 友人を駅の改札まで見送ってから帰宅した。会っている間は彼女に対し羨望の気持ちでいっぱいだった。仲良しの友人の日々が充実しているのは喜ばしかったが、卑しい私には羨ましさの方が強かった。そして帰宅の道中から今、私は自分への失望に満ちている。ベタな言い方だが、彼女は輝いて見えたのだ。それに引き換え私はくすんでいる。瞳も肌も心も。社会と接することは大切なのだ。私のように家で朦朧としていてはいけないのだ。ライヴ会場で他の観客に「かわいい」と褒められたことがある。嬉しかった。しかしそれは偽装した私だ。真の私はくすんでいる。曇った窓硝子は丁寧に磨けばまるで硝子が入っていないかのように透明になる。磨かなければ埃が付着して曇りゆくだけだ。窓硝子の埃は気にならないが、自分が曇っているのは嫌だと時々思う。今日友人に会い、その時々の一時を迎えた。磨かねば。明日早くに入浴しよう。先週は通院をさぼったので明日こそは行かなければ貯薬が切れる。

BGM/「記録シリーズ(金沢・松山・水戸)」及び同「(東京・大阪)」

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