何の記念日でもあるまいに
2003年10月13日 雑感・所感 実はこれを書いている今は10月15日である。どうも一日に一回しか日記を書けないようなので書きたいことがたくさんあるときや文字数制限をオーバーしてしまったときは遡った、または先の日付で書くしかないらしい。
日記というのは正月とか誕生日とか所謂区切りとなる日からつけ始めるのが本来の姿だと、私は決め付けている。しかし今日は私にとって何の記念日でもない。でも何となく今日から。本当に便利な言葉だと思う。何となく。日記のタイトルもHNもプロフィールも何となくこれにした。いや、何となくではなくれっきとした由来はあるのだけれど、解る人だけ解ればいいので何となくとしておく。何故何となく今日から日記をつけ始めたのか。答えは、思い立ったからである。吉日。私は諸事情により日々これといって何もできず朦朧と暮らしいてる。この朦朧とした日々が始まり既に半年以上経つ。いかんのではなかろうか。朦朧としていては人間は莫迦になる。莫迦はいい。楽だ。後日書くが本当に莫迦はいい。羨ましさすら覚えるほどに。しかし莫迦の尻拭いや莫迦の所為で自分が不愉快な思いをするのは御免被りたい。そういったことに気を揉むのは面倒だし厄介だし苛々するし鬱々としてくる。そんな気分を晴らすには泣くのが一番手っ取り早い。泪には心の荒んだ部分を洗い流す浄化作用がある。けれど今の私は泣けない。パキの副作用により感情の起伏が平坦になっているため、涙腺が固くなってきている。ならばどこでその苛々や鬱々を晴らせば良いのか。これ迄は友人たちにメールをしたり電話をしたりして晴らしてきた。いけない。そうそう付き合わせてもいられない。中島みゆき。そこで思いついたのが日記である。
私は日記と相性が悪い。小学生時代の夏休みに強制的に課される絵日記も最後の一日で全日分描いた。天気は二学期になってからクラスメイトに写させて貰った。有難う、そのときのクラスメイト。もう名前も覚えていないけれど。そして人生に於いて過去に何度も区切りの日から日記をつけ始めたことがある。何度もということは毎度続かなかったからに他ならない。続かなければまたつけ直すしかないので何度もなのだ。ここ数年はそんな無駄な挑戦はしなくなっていたのだが、今回は続けたいと思う。毎度思うことだけれど。まあ、続いたらいいなあくらいの気持ちで。このような一念発起に至った理由は、朦朧とした日々にメリハリを付けたくなったからだ。数ヶ月前からライヴというものに出向くようになった。きっかけは行動療法の実行とメリハリの欲求である。昔はライヴに行く人間の気持ちが全く以って解せなかった。何度も聴けるCDを買えてしまう金額以上をたかが数時間の為に何故払えるのかが解らなかった。今は解る。CDと生音は明らかに違う。生音は身体全体に響くのが快感である。初ライヴを経験した日には、今迄の人生に於いて損をしていた気すらした。それくらい、今はライヴが好きである。しかし当然ながら私の好きなバンドが毎日ライヴをしてくれる訳はない。ライヴのない日々は相変わらず朦朧と日々を過ごす。飽きてきた。なので一日に一度、必ずやらなければならないことというものを自分に課してみようと思った。どうせ課すなら掃除や洗濯にしろという意見は却下である。浄化作用を伴わないので。文章を書く行為にも泪を流すのと同様に浄化作用があると思う。認知療法の基本もまずは書くことからだ。ここで認知療法をする訳ではないが。また私は以前は文筆業を営んでいた。今はその世界から遠ざかり、文章力は落ちる一方である。特に長文。文章を書いて生活していた頃は日記をつけるのは無駄だと思っていた。日記を書いてもギャラが発生しないからだ。当時の私の文章にはギャラが発生するだけの力があった。今はもうない。なので文章の勘を取り戻す作業も兼ねている。今も稀に仕事を請けることがあるが、あくまで心身に負担がかからない程度の簡単な仕事しか請けられない。しかしながらその手の簡単な仕事を請けたときに、不愉快な思いをさせられることが多々ある。やはり簡単な仕事は莫迦の役割であり、利口な人間はその程度の仕事には関わらないのであろう。莫迦な編集者にあたるといつかまた現場に復帰したいという気持ちが湧く。その日の為の予行練習も兼ねての日記。
さてタイトル。こんなタイトルではあるが恋愛日記に非ず。恋愛ってなんですか? というくらい色恋沙汰から遠ざかってかなりの年数が経つ。HIV等の検査を受けシロの判定を貰ってから行為が怖くなった。スルことでシロがクロになるかもしれないと思うと、できない。誰とでもヤッていた頃の自分が今は信じられない。うちのともできない。申し訳なくも思うが、うちのは検査を受けていないので推定シロであり、確定シロではないからだ。また諸事情とパキの副作用に拠り現在の私はシモへの欲求が皆無に等しい。うちのには外で欲求を処理してきて欲しいと思う。思うだけでは無く言ってもある。後はうちのが決めることだ。私から性欲がなくなってかなり経つ所為か、私の諸事情の所為か、うちは殺伐としている。吉野家並みに。無戒秀徳並みに。殺伐。相剋の家である。大概に於いて悪いのは私らしい。それはさておき、色恋沙汰はなくとも恋心がなくなったら女は枯れると思う。青木るえかに激しく同意する。新しい服を着るとき、限定コスメを予約するとき、ときめく。楽しい。女に生まれて良かったと感じる。けれどお洒落やメイク以上に女を輝かせるものは恋心であろう。両想い・片想いは問わない。当人の中に恋心があるかないかが問題なのだ。今の私には仄かな恋心がある。相手はうちのではない。うちのへの恋心は愛へと変化を遂げている。恋と愛は違うのだ。愛は情に近く、恋に情はない。恋にあるのは慕ではなかろうか。この歳になって周囲に夫婦が増えてきた。皆、恋から愛、愛から情への心情変化を遂げたらしい。なので恋は他所に求める。私の周囲の既婚者たちは所謂不倫をしている者が多い。しかも婚前からの付き合いが続いているパターンだ。ならばそっちと結婚すれば良かったのにと思うのは事実婚状態とはいえ、私が未だ独身だからか。
無戒秀徳は好みである。眼鏡だから。しかし眼鏡を外した無戒が好きかと問われれば答えは否だ。目付きも声もギターもいい線を行っているのだが輪郭が違うのだ。よく「○○さんの好みってどんな人?」という会話がある。誰でも一度のみならずしたことがあるだろう。私も数え切れない程その手の会話をしてきた。当初は「眼鏡をかけていて目付きが悪くてサラッと嫌味が言える人。芸能人で言えば松尾貴史」と答えていた。しかし悲しき哉、松尾貴史を知らない人が余りにも多かった。「キッチュ」「大島渚の真似をする人」と説明をして半分の人が解ってくれたかどうか。ある程度この手の会話の回数をこなしてからは「ちぃ兄ちゃんの頃の福山雅治」と答えるようになり、眼鏡好きだということは理解され易くなった。目付きが違うのだが白衣も好きなので妥協点が福山雅治なのだ。男声は気持ち高めのテノールが気持ちいい。うちのは眼鏡でテノールだ。もし眼鏡でなく且つバスだったら付き合っていなかったかもしれない。一時期、うちのが脱眼鏡してコンタクトにしようとしていたので必死で止めた。それくらい眼鏡が好きだ。うちのと眼鏡のどちらが好きかと問われれば眼鏡と答えるかもしれない。また上記のような会話をしていた頃に比べ、今はもう少し好みが煩くなった。眼鏡が必須なのは変わらないが、後は髭があり、和服……甚平、袴、訪問着等が似合うこと。モンペも可である。頭髪への拘りは薄くなった。河童禿でなければ良しとする。今、私の好みにぴったり嵌っている男性がひとりいる。敢えて名前は出さない。解る人には解るだろうし、解らない人には松尾貴史以上に知らない存在なのは明白だ。
BGM/「恋は三角木馬の上で」「…
日記というのは正月とか誕生日とか所謂区切りとなる日からつけ始めるのが本来の姿だと、私は決め付けている。しかし今日は私にとって何の記念日でもない。でも何となく今日から。本当に便利な言葉だと思う。何となく。日記のタイトルもHNもプロフィールも何となくこれにした。いや、何となくではなくれっきとした由来はあるのだけれど、解る人だけ解ればいいので何となくとしておく。何故何となく今日から日記をつけ始めたのか。答えは、思い立ったからである。吉日。私は諸事情により日々これといって何もできず朦朧と暮らしいてる。この朦朧とした日々が始まり既に半年以上経つ。いかんのではなかろうか。朦朧としていては人間は莫迦になる。莫迦はいい。楽だ。後日書くが本当に莫迦はいい。羨ましさすら覚えるほどに。しかし莫迦の尻拭いや莫迦の所為で自分が不愉快な思いをするのは御免被りたい。そういったことに気を揉むのは面倒だし厄介だし苛々するし鬱々としてくる。そんな気分を晴らすには泣くのが一番手っ取り早い。泪には心の荒んだ部分を洗い流す浄化作用がある。けれど今の私は泣けない。パキの副作用により感情の起伏が平坦になっているため、涙腺が固くなってきている。ならばどこでその苛々や鬱々を晴らせば良いのか。これ迄は友人たちにメールをしたり電話をしたりして晴らしてきた。いけない。そうそう付き合わせてもいられない。中島みゆき。そこで思いついたのが日記である。
私は日記と相性が悪い。小学生時代の夏休みに強制的に課される絵日記も最後の一日で全日分描いた。天気は二学期になってからクラスメイトに写させて貰った。有難う、そのときのクラスメイト。もう名前も覚えていないけれど。そして人生に於いて過去に何度も区切りの日から日記をつけ始めたことがある。何度もということは毎度続かなかったからに他ならない。続かなければまたつけ直すしかないので何度もなのだ。ここ数年はそんな無駄な挑戦はしなくなっていたのだが、今回は続けたいと思う。毎度思うことだけれど。まあ、続いたらいいなあくらいの気持ちで。このような一念発起に至った理由は、朦朧とした日々にメリハリを付けたくなったからだ。数ヶ月前からライヴというものに出向くようになった。きっかけは行動療法の実行とメリハリの欲求である。昔はライヴに行く人間の気持ちが全く以って解せなかった。何度も聴けるCDを買えてしまう金額以上をたかが数時間の為に何故払えるのかが解らなかった。今は解る。CDと生音は明らかに違う。生音は身体全体に響くのが快感である。初ライヴを経験した日には、今迄の人生に於いて損をしていた気すらした。それくらい、今はライヴが好きである。しかし当然ながら私の好きなバンドが毎日ライヴをしてくれる訳はない。ライヴのない日々は相変わらず朦朧と日々を過ごす。飽きてきた。なので一日に一度、必ずやらなければならないことというものを自分に課してみようと思った。どうせ課すなら掃除や洗濯にしろという意見は却下である。浄化作用を伴わないので。文章を書く行為にも泪を流すのと同様に浄化作用があると思う。認知療法の基本もまずは書くことからだ。ここで認知療法をする訳ではないが。また私は以前は文筆業を営んでいた。今はその世界から遠ざかり、文章力は落ちる一方である。特に長文。文章を書いて生活していた頃は日記をつけるのは無駄だと思っていた。日記を書いてもギャラが発生しないからだ。当時の私の文章にはギャラが発生するだけの力があった。今はもうない。なので文章の勘を取り戻す作業も兼ねている。今も稀に仕事を請けることがあるが、あくまで心身に負担がかからない程度の簡単な仕事しか請けられない。しかしながらその手の簡単な仕事を請けたときに、不愉快な思いをさせられることが多々ある。やはり簡単な仕事は莫迦の役割であり、利口な人間はその程度の仕事には関わらないのであろう。莫迦な編集者にあたるといつかまた現場に復帰したいという気持ちが湧く。その日の為の予行練習も兼ねての日記。
さてタイトル。こんなタイトルではあるが恋愛日記に非ず。恋愛ってなんですか? というくらい色恋沙汰から遠ざかってかなりの年数が経つ。HIV等の検査を受けシロの判定を貰ってから行為が怖くなった。スルことでシロがクロになるかもしれないと思うと、できない。誰とでもヤッていた頃の自分が今は信じられない。うちのともできない。申し訳なくも思うが、うちのは検査を受けていないので推定シロであり、確定シロではないからだ。また諸事情とパキの副作用に拠り現在の私はシモへの欲求が皆無に等しい。うちのには外で欲求を処理してきて欲しいと思う。思うだけでは無く言ってもある。後はうちのが決めることだ。私から性欲がなくなってかなり経つ所為か、私の諸事情の所為か、うちは殺伐としている。吉野家並みに。無戒秀徳並みに。殺伐。相剋の家である。大概に於いて悪いのは私らしい。それはさておき、色恋沙汰はなくとも恋心がなくなったら女は枯れると思う。青木るえかに激しく同意する。新しい服を着るとき、限定コスメを予約するとき、ときめく。楽しい。女に生まれて良かったと感じる。けれどお洒落やメイク以上に女を輝かせるものは恋心であろう。両想い・片想いは問わない。当人の中に恋心があるかないかが問題なのだ。今の私には仄かな恋心がある。相手はうちのではない。うちのへの恋心は愛へと変化を遂げている。恋と愛は違うのだ。愛は情に近く、恋に情はない。恋にあるのは慕ではなかろうか。この歳になって周囲に夫婦が増えてきた。皆、恋から愛、愛から情への心情変化を遂げたらしい。なので恋は他所に求める。私の周囲の既婚者たちは所謂不倫をしている者が多い。しかも婚前からの付き合いが続いているパターンだ。ならばそっちと結婚すれば良かったのにと思うのは事実婚状態とはいえ、私が未だ独身だからか。
無戒秀徳は好みである。眼鏡だから。しかし眼鏡を外した無戒が好きかと問われれば答えは否だ。目付きも声もギターもいい線を行っているのだが輪郭が違うのだ。よく「○○さんの好みってどんな人?」という会話がある。誰でも一度のみならずしたことがあるだろう。私も数え切れない程その手の会話をしてきた。当初は「眼鏡をかけていて目付きが悪くてサラッと嫌味が言える人。芸能人で言えば松尾貴史」と答えていた。しかし悲しき哉、松尾貴史を知らない人が余りにも多かった。「キッチュ」「大島渚の真似をする人」と説明をして半分の人が解ってくれたかどうか。ある程度この手の会話の回数をこなしてからは「ちぃ兄ちゃんの頃の福山雅治」と答えるようになり、眼鏡好きだということは理解され易くなった。目付きが違うのだが白衣も好きなので妥協点が福山雅治なのだ。男声は気持ち高めのテノールが気持ちいい。うちのは眼鏡でテノールだ。もし眼鏡でなく且つバスだったら付き合っていなかったかもしれない。一時期、うちのが脱眼鏡してコンタクトにしようとしていたので必死で止めた。それくらい眼鏡が好きだ。うちのと眼鏡のどちらが好きかと問われれば眼鏡と答えるかもしれない。また上記のような会話をしていた頃に比べ、今はもう少し好みが煩くなった。眼鏡が必須なのは変わらないが、後は髭があり、和服……甚平、袴、訪問着等が似合うこと。モンペも可である。頭髪への拘りは薄くなった。河童禿でなければ良しとする。今、私の好みにぴったり嵌っている男性がひとりいる。敢えて名前は出さない。解る人には解るだろうし、解らない人には松尾貴史以上に知らない存在なのは明白だ。
BGM/「恋は三角木馬の上で」「…
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