子供にとって居心地の良い場所と代償行為
2003年10月12日 家族・メンヘル・健康など これを記しているのは10月17日である。
子供の頃から他者との距離感の取り方が下手だった。他者と接するとき、自分の中でその他者に対して大好きか大嫌いかを決める。中間はない。そして大好きな他者には大好きな相手として、大嫌いな他者には大嫌いな相手として接することしかできない。他者からも大好きか大嫌いかの極端な評価を得易い。私のことが大好きな人よりも大嫌いな人の方が多いだろう。そして私のことを大嫌いだと言ったり思ったりする人間のことは私も大嫌いなので、それはそれで構わない。問題は私を大好きと大嫌いのどこかの中間点に置いている他者の存在だ。何を考えながら私に接しているのか全く解らない。はっきり言ってしまうと居心地が悪く気味も悪い。自分が相手に対してどう接していいかが解らないからだ。少し前迄これは性格だと思っていたが違っていた。寛解には数年はかかりそうである。
距離感、というものである。この世には二種類の人間がいると思っていた。
・最初に自らを曝け出し、こんな私で良ければ仲良くしましょうタイプ
・徐々に自らを曝け出し、相手の反応を見つつ曝す範囲を決めるタイプ
思っていた、と書いたが実際にこの二種しか存在しないと今も思っている。私は言わずもがな前者だが、世間には後者が多数らしい。私が後者を厭らしい人間だと思うのは、或る友人に言わせると「変なところで純粋だから」だそうだ。ストレートな言葉に直すと、子供じみている、大人の人間関係の築き方を知らないということだろう。私のことを好いてくれている奇特な人たちは、このような子供じみた純粋さが好きらしい。純粋と言うと言葉が綺麗だが要は子供なのである。先日書いたチャイルディッシュとは違う意味で。そしてこの子供じみた純粋さ故の上記箇条書き前者という自己は、性格ではなく症状だったことが数ヶ月前に判明した。早く治したいが、主治医はその前にもうひとつの身体的症状を止めるのが先だと主張する
身体的症状と関連している精神的症状の表面化のひとつに依存がある。私の場合はコスメ購入→衣類及び服飾小物購入→パチンコ→コスメ……と常にこの3点のどれかに依存している。少し前に共同貯金を10万ほど使い込んでいたことがバレた。北への資金となる銀玉やランコムの限定品やナショナルスタンダードのスカートなどへとその金は化けていった。バレたとき、うちのは怒った。当然である。現在の私は無収入であり、共同といえどもうちのが朝から晩まで働き、ビールから発泡酒へ、ドゥニームから無印良品へと節約して貯めた金である。「出て行け」と言われた。これも当然だろう。しかしながら「出て行け」と言われても行く場所が私には一箇所しかない。逝ったら出棺時には相剋の家を流してください、という恐山の向こうである。実家という選択肢はない。主治医も「もし本当に出て行かざるを得ない状況になったら一人暮らしをして生活保護を受けなさい」と薦めてきた。調べたところ、三等身以内に私を養える経済力がある人間がいる場合は生活保護を受けられないことが判った。なので「出て行け」=実家へ強制送還となり、諸事情が更に更に拗れることは明白。やはり、出棺時は……と書置きしておかなければという話になる。
上記の依存癖は症状である。以前うちのに「こんな諸事情を背負った私のことが本当に好きか?」と訊いた。「諸事情込みで好きだ」と答えてくれた。言質。ならば依存が症状であることを理解してもらえれば良いのだ。会話やメールでくどくどと解説を繰り返したのは勿論のこと、生活の中でも私が思い付く限りの誠意を見せて「出て行け」は却下された。納得はしてくれていないが理解はしてくれる人なのだ。一番苦労したのは「楽しくてしたことではない」という点の解説である。一般的にパチは道楽と解釈されている。パチ屋に足を運ぶ人の大多数は本当に道楽であろうが、そうではないのに足が向いてしまう人間も確実に存在し、私もそのひとりだったのだ。道楽ではないのにパチ屋に行く人間の心境は多種多様であろう。そんな個々の心境迄は知らない。私の場合の心境はこうだ。日常の殆どを家の中でひとりで過ごす。ひとりでいるのは決して苦痛ではないが、ときに淋しくなることもある。すると様々な思いを経て希死念慮発動。希死念慮は念慮のみに留めておかなければならないらしい。その理由は理解も納得も出来ていないが、実行に移したら実家へ強制送還と宣言されているからには留めておく必要がある。因って他者と接したくなるのだが如何せん私は他者と接するのが苦手であるし、また数少ない親しい友人たちとて平日の昼間に暇を持て余している者はいない。そこで思いつくのがパチ屋なのだ。他者の存在と喧騒がある。なのにその他者らと会話を交わす必要はない。回ろうが回るまいが孤独にハンドルを固定しているだけで銀玉が撥ね、釘にぶつかりながら流れ落ちてゆく。ドル箱が詰まれるかどうかはどうでもいいことで、他者の存在と喧騒を味わいつつ銀玉の流れを見ることが目的であり、パチ屋に身を置くと心に平穏が訪れた。
高校時代に博打を覚えた。まず競馬。パチにも手を出したがCR機登場及び羽根物の衰退と共に足を洗い、また競馬に専念。これは社会進出の際の仕事にもなった。その後は麻雀。これも一時期仕事にしていた。CR機が全盛となってからのパチは、私が宝くじと同様に莫迦にしている博打の一種である。博打をしない人間に競馬や麻雀とパチの違いは判らないらしい。しかし絶対的な違いが有る。博打に運は付き物だが、競馬・麻雀はそれにデータという知識や牌の動きなどから同卓の他者の心を読むという頭脳労働が伴う。パチも羽根物全盛の頃は釘を読む頭脳労働が主だったが、CR機に於いては釘読み以上に台の設定の影響が強くなりどの台を選ぶかという運の要素の方が大きくなった。村田渚同様に私も頭脳労働を伴わない博打は嫌いなのだ。頭脳労働を伴わず運に頼る博打を好む者を莫迦にする傾向もある。それは今もだ。こうも莫迦にしている鉄火場に足を運ぶのが私にとって楽しい筈がない。私にとってパチは自傷の代償行為なのだ。
冒頭から締めへと大きく内容が変化しているのは、書き始めたときの心境に少し変化があったからである。
BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」「桜の森の満開の下」
子供の頃から他者との距離感の取り方が下手だった。他者と接するとき、自分の中でその他者に対して大好きか大嫌いかを決める。中間はない。そして大好きな他者には大好きな相手として、大嫌いな他者には大嫌いな相手として接することしかできない。他者からも大好きか大嫌いかの極端な評価を得易い。私のことが大好きな人よりも大嫌いな人の方が多いだろう。そして私のことを大嫌いだと言ったり思ったりする人間のことは私も大嫌いなので、それはそれで構わない。問題は私を大好きと大嫌いのどこかの中間点に置いている他者の存在だ。何を考えながら私に接しているのか全く解らない。はっきり言ってしまうと居心地が悪く気味も悪い。自分が相手に対してどう接していいかが解らないからだ。少し前迄これは性格だと思っていたが違っていた。寛解には数年はかかりそうである。
距離感、というものである。この世には二種類の人間がいると思っていた。
・最初に自らを曝け出し、こんな私で良ければ仲良くしましょうタイプ
・徐々に自らを曝け出し、相手の反応を見つつ曝す範囲を決めるタイプ
思っていた、と書いたが実際にこの二種しか存在しないと今も思っている。私は言わずもがな前者だが、世間には後者が多数らしい。私が後者を厭らしい人間だと思うのは、或る友人に言わせると「変なところで純粋だから」だそうだ。ストレートな言葉に直すと、子供じみている、大人の人間関係の築き方を知らないということだろう。私のことを好いてくれている奇特な人たちは、このような子供じみた純粋さが好きらしい。純粋と言うと言葉が綺麗だが要は子供なのである。先日書いたチャイルディッシュとは違う意味で。そしてこの子供じみた純粋さ故の上記箇条書き前者という自己は、性格ではなく症状だったことが数ヶ月前に判明した。早く治したいが、主治医はその前にもうひとつの身体的症状を止めるのが先だと主張する
身体的症状と関連している精神的症状の表面化のひとつに依存がある。私の場合はコスメ購入→衣類及び服飾小物購入→パチンコ→コスメ……と常にこの3点のどれかに依存している。少し前に共同貯金を10万ほど使い込んでいたことがバレた。北への資金となる銀玉やランコムの限定品やナショナルスタンダードのスカートなどへとその金は化けていった。バレたとき、うちのは怒った。当然である。現在の私は無収入であり、共同といえどもうちのが朝から晩まで働き、ビールから発泡酒へ、ドゥニームから無印良品へと節約して貯めた金である。「出て行け」と言われた。これも当然だろう。しかしながら「出て行け」と言われても行く場所が私には一箇所しかない。逝ったら出棺時には相剋の家を流してください、という恐山の向こうである。実家という選択肢はない。主治医も「もし本当に出て行かざるを得ない状況になったら一人暮らしをして生活保護を受けなさい」と薦めてきた。調べたところ、三等身以内に私を養える経済力がある人間がいる場合は生活保護を受けられないことが判った。なので「出て行け」=実家へ強制送還となり、諸事情が更に更に拗れることは明白。やはり、出棺時は……と書置きしておかなければという話になる。
上記の依存癖は症状である。以前うちのに「こんな諸事情を背負った私のことが本当に好きか?」と訊いた。「諸事情込みで好きだ」と答えてくれた。言質。ならば依存が症状であることを理解してもらえれば良いのだ。会話やメールでくどくどと解説を繰り返したのは勿論のこと、生活の中でも私が思い付く限りの誠意を見せて「出て行け」は却下された。納得はしてくれていないが理解はしてくれる人なのだ。一番苦労したのは「楽しくてしたことではない」という点の解説である。一般的にパチは道楽と解釈されている。パチ屋に足を運ぶ人の大多数は本当に道楽であろうが、そうではないのに足が向いてしまう人間も確実に存在し、私もそのひとりだったのだ。道楽ではないのにパチ屋に行く人間の心境は多種多様であろう。そんな個々の心境迄は知らない。私の場合の心境はこうだ。日常の殆どを家の中でひとりで過ごす。ひとりでいるのは決して苦痛ではないが、ときに淋しくなることもある。すると様々な思いを経て希死念慮発動。希死念慮は念慮のみに留めておかなければならないらしい。その理由は理解も納得も出来ていないが、実行に移したら実家へ強制送還と宣言されているからには留めておく必要がある。因って他者と接したくなるのだが如何せん私は他者と接するのが苦手であるし、また数少ない親しい友人たちとて平日の昼間に暇を持て余している者はいない。そこで思いつくのがパチ屋なのだ。他者の存在と喧騒がある。なのにその他者らと会話を交わす必要はない。回ろうが回るまいが孤独にハンドルを固定しているだけで銀玉が撥ね、釘にぶつかりながら流れ落ちてゆく。ドル箱が詰まれるかどうかはどうでもいいことで、他者の存在と喧騒を味わいつつ銀玉の流れを見ることが目的であり、パチ屋に身を置くと心に平穏が訪れた。
高校時代に博打を覚えた。まず競馬。パチにも手を出したがCR機登場及び羽根物の衰退と共に足を洗い、また競馬に専念。これは社会進出の際の仕事にもなった。その後は麻雀。これも一時期仕事にしていた。CR機が全盛となってからのパチは、私が宝くじと同様に莫迦にしている博打の一種である。博打をしない人間に競馬や麻雀とパチの違いは判らないらしい。しかし絶対的な違いが有る。博打に運は付き物だが、競馬・麻雀はそれにデータという知識や牌の動きなどから同卓の他者の心を読むという頭脳労働が伴う。パチも羽根物全盛の頃は釘を読む頭脳労働が主だったが、CR機に於いては釘読み以上に台の設定の影響が強くなりどの台を選ぶかという運の要素の方が大きくなった。村田渚同様に私も頭脳労働を伴わない博打は嫌いなのだ。頭脳労働を伴わず運に頼る博打を好む者を莫迦にする傾向もある。それは今もだ。こうも莫迦にしている鉄火場に足を運ぶのが私にとって楽しい筈がない。私にとってパチは自傷の代償行為なのだ。
冒頭から締めへと大きく内容が変化しているのは、書き始めたときの心境に少し変化があったからである。
BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」「桜の森の満開の下」
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