お洋服と楽と四季
2003年10月10日 メイク・ファッション・ピアス 11日付の続きである。
衣類などの購入の場が安価なフリーマーケットやネットオークションであっても、商品の定価や相場価格は知っている。私は貧乏性なので、自分が払った価格で物の価値を考えない。極端な例として10円で購入した定価10000円の物があったとする。どうも多くの他者はそれが不要だと感じたとき、どうせ10円で買った物だし……と簡単に処分できるらしい。私にはできなかった。これ迄は定価10000円の物だし……と勿体ながっていた。そこを多くの他者の考えに切り替えてみた。すると100点以上の不要物が発掘できたのである。よくテレビや雑誌で整理整頓の達人のような人たちがコツを教授している。専門書籍も複数存在している。達人らの共通のコツは、ひとつ買ったらひとつ捨てる、ということだ。100点以上の不要物の発掘はこの先100点以上の物を買っても良いということに違いない。うちのには絶対に言えない。パッシーンとしばかれるに決まっている。更に説教もされそうだ。被扶養者の立場は激しく弱い。弱者である私は博打も買い物もこそこそとしている。うちのはまだアナスイのスーツの存在にも、複数のアンティークシューズの存在にも、スサデボンボンのコートの存在にも気付いていない筈だ。いや、ネットオークションには共通IDで参加しているので、気付いているがひとつひとつは安価なので見て見ぬふりをしてくれているのかもしれない。もしそうだとしたら一応収納しきれているからだろう。
18日、年末ライヴのチケットをぴあでどうにか取った。朝10時前に目覚ましをセットし、何度もリダイヤルを繰り返してやっと手続が終了したは11時半近くだった。まだ右腕が痛い。何の公演や試合のチケット発売と重なったかは知らないが、私と同じチケットを取りたかった人たちの為だけならきっと3分で取れたであろう。ほんの少し悲しいような。そんなマイナーバンドのライヴである。来週、来月の頭、年末の中旬と毎月愛しの君を観られるのは嬉しい。ライヴにはあらん限りの気合を入れて行く。お洒落もするしメイクにも2時間だ。ライヴ会場でしか私を見たことが無い人の中にはキュートなお洒落さんだと私への間違った認識を持っている人もいる。ずっと間違っていて欲しい。素の私には引く他者の方が多いのでこの手の間違いは大歓迎である。これは前段落や11・18・19日付の日記から続いている話である。
クセのある物が好きだと書いた。ひとクセあるといった物も好きだが、ひとクセの範疇を遥かに超えた物も多種多様に所有して居る。いつどこで着るのか、そもそもどうやって着るのか、それは何に使うのか。そんな物が大量にあった。少しは減ったが今もある。それらクセの有るアイテムを使える場ができた。ライヴ会場だ。また最近ファッションを勉強し直していることもあり、やっとそれらの出番が回ってくるようにもなった。いわば以前の私の所有物の殆どは、アクセントになるものばかりだった。アクセントは一箇所だからこそアクセントなのであり、アクセントを複数身に纏うのは只のセンスなき人となりかねない諸刃の剣。日々是勉強。やっと実ってき始めたと感じている。勉強といっても応用を学んでいるのではない。応用から続いていた我が道の幅を広げんが為に基本を学んでいるのだ。まずメイクの勉強によりブルーベースであることが判明したのでイエローベース向けの色は極力避ける、ボリュームのあるボトムにはタイトめのトップを持ってくる、挿し色を使うならここ、など。多くの他者と逆を歩んでいるのかもしれないが仕方がないし、今現在学習しているのでそれでいいと思っている。基本を知らずにはいたが、それでも許容範囲外というものは明らかにあった。例えば挿し色扱いでもないのに靴と鞄の色が違う、ミュールやサンダルとストッキングを併用している、など。我流の許容範囲外設定だと思っていたが、センスの良い友人との会話でやはりこれらはナシだと判明した。一安心。しかしながら巷には私の許容範囲外の恰好をした人間が多くいる。茶色い鞄を持っているのにその黒い靴なんだ! 何故にギャル系トップスにOL系ボトムを合わせる! 私はピーコか。でも本当に多いのだ。年齢を問わず多い。
安野モヨコのハッピーマニアの番外編でシゲタが服に悩む話がある。シゲタの気持ちが良く解る。ピーコも同じことを言っていたが、ジャンル違いの物を同時に身に付けるのはナシなのだ。安野モヨコはお洒落漫画家として認知されている。ひうらさとるもそうらしい。私の中では中山乃梨子もだ。漫画家自身の服の趣味は知らないが、実はファッション誌よりも漫画の方が役立つ部分がある。安彦麻理絵の短編のひとつにこんな話があった。「○○先生のあの漫画の××のファッション、いつも恰好いいですね」「ああ、あれは△△に載っているモデルの服をそのまま描いているから」。文章のみでは不可能な、絵も伴う漫画ならではの他所からのいいとこ取りである。先々月KISSを立ち読みしていたら、巻頭でのだめのワンピースのモデルとなっているアーノルドパーマーのワンピースが、読者プレゼントとして写真掲載されていた。そのとき編集サイドからの申し入れで二ノ宮知子がのだめにそのワンピースを着せたのか、二ノ宮知子にのだめのワンピースの実在モデルを訊き出して編集が読者プレゼントとしたのかは不明である。ただひとつ判ったのは、実在のワンピースがのだめ着用ワンピースとされていることだ。
最近になって通称のだめバッグと呼ばれるようになったピアノを模したトートバッグが、楽器屋で前々から取り扱われている。一時期そのトートはのだめ効果で品薄になっていたようだ。非常に可愛いので取り寄せてもらって私も愛用している。安価で実用的で、のだめを知らない他者からも可愛いと褒められるトートだ。一度欲しいと思ったら、手が出ない値段で無い限り私は諦めない。先日やっと安彦麻理絵の漫画に出てきたmilk fedのシンプルなトレーナーをやや予算オーバーしたものの入手できた。欲しいと思ってから数年経っている。その間にやっぱり要らないやと思ったことは無かったのでとても喜ばしい。全体的な雰囲気としては菊ちゃんやツボミのファッションの雰囲気が好きだ。こう書くとフィクションとノンフィクションの区別が付いていないかのようだが、ファッションに於いてはそうではない。漫画家が実在の物からいいとこ取りしているのと同様に、私は漫画からいいとこ取りさせてもらっているだけだ。ファッション誌を読むよりも面白く尚且つ楽をしている。漫画の登場人物も読者も昔と違ってオタク臭を発しているとは限らない。
先日、主治医のところへ行った。週一ペースの通院が基本だが、体調と気分が優れなかった為、中二週ぶりだった。行くとき、待合室で、帰り道、驚いた。人々がジャケットを羽織りつつも寒そうにしていた。マフラーをしている人もいたし、ブーツを履いている人もいた。そういえば自分自身、最近足元に冷えを感じていたし、出かける際はブルゾンを着ていた。この驚いた話をうちのにしたら「黒猫ちゃん、もう10月も半ばですよ。オレらは年末を見て仕事しているよ」と。10月半ばなのは知っていた。私のPCの隣にカレンダーがあり、それがなければチケットも取れない。ライヴにも行けない。けれど私の中では全て数字でしかなく四季とは切り離されていた。浮世離れも程々にしなければと思わされた。主治医に以前言われた。私の諸事情が無くなるときは四季を感じられるようになったときらしい。
BGM/アルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」
衣類などの購入の場が安価なフリーマーケットやネットオークションであっても、商品の定価や相場価格は知っている。私は貧乏性なので、自分が払った価格で物の価値を考えない。極端な例として10円で購入した定価10000円の物があったとする。どうも多くの他者はそれが不要だと感じたとき、どうせ10円で買った物だし……と簡単に処分できるらしい。私にはできなかった。これ迄は定価10000円の物だし……と勿体ながっていた。そこを多くの他者の考えに切り替えてみた。すると100点以上の不要物が発掘できたのである。よくテレビや雑誌で整理整頓の達人のような人たちがコツを教授している。専門書籍も複数存在している。達人らの共通のコツは、ひとつ買ったらひとつ捨てる、ということだ。100点以上の不要物の発掘はこの先100点以上の物を買っても良いということに違いない。うちのには絶対に言えない。パッシーンとしばかれるに決まっている。更に説教もされそうだ。被扶養者の立場は激しく弱い。弱者である私は博打も買い物もこそこそとしている。うちのはまだアナスイのスーツの存在にも、複数のアンティークシューズの存在にも、スサデボンボンのコートの存在にも気付いていない筈だ。いや、ネットオークションには共通IDで参加しているので、気付いているがひとつひとつは安価なので見て見ぬふりをしてくれているのかもしれない。もしそうだとしたら一応収納しきれているからだろう。
18日、年末ライヴのチケットをぴあでどうにか取った。朝10時前に目覚ましをセットし、何度もリダイヤルを繰り返してやっと手続が終了したは11時半近くだった。まだ右腕が痛い。何の公演や試合のチケット発売と重なったかは知らないが、私と同じチケットを取りたかった人たちの為だけならきっと3分で取れたであろう。ほんの少し悲しいような。そんなマイナーバンドのライヴである。来週、来月の頭、年末の中旬と毎月愛しの君を観られるのは嬉しい。ライヴにはあらん限りの気合を入れて行く。お洒落もするしメイクにも2時間だ。ライヴ会場でしか私を見たことが無い人の中にはキュートなお洒落さんだと私への間違った認識を持っている人もいる。ずっと間違っていて欲しい。素の私には引く他者の方が多いのでこの手の間違いは大歓迎である。これは前段落や11・18・19日付の日記から続いている話である。
クセのある物が好きだと書いた。ひとクセあるといった物も好きだが、ひとクセの範疇を遥かに超えた物も多種多様に所有して居る。いつどこで着るのか、そもそもどうやって着るのか、それは何に使うのか。そんな物が大量にあった。少しは減ったが今もある。それらクセの有るアイテムを使える場ができた。ライヴ会場だ。また最近ファッションを勉強し直していることもあり、やっとそれらの出番が回ってくるようにもなった。いわば以前の私の所有物の殆どは、アクセントになるものばかりだった。アクセントは一箇所だからこそアクセントなのであり、アクセントを複数身に纏うのは只のセンスなき人となりかねない諸刃の剣。日々是勉強。やっと実ってき始めたと感じている。勉強といっても応用を学んでいるのではない。応用から続いていた我が道の幅を広げんが為に基本を学んでいるのだ。まずメイクの勉強によりブルーベースであることが判明したのでイエローベース向けの色は極力避ける、ボリュームのあるボトムにはタイトめのトップを持ってくる、挿し色を使うならここ、など。多くの他者と逆を歩んでいるのかもしれないが仕方がないし、今現在学習しているのでそれでいいと思っている。基本を知らずにはいたが、それでも許容範囲外というものは明らかにあった。例えば挿し色扱いでもないのに靴と鞄の色が違う、ミュールやサンダルとストッキングを併用している、など。我流の許容範囲外設定だと思っていたが、センスの良い友人との会話でやはりこれらはナシだと判明した。一安心。しかしながら巷には私の許容範囲外の恰好をした人間が多くいる。茶色い鞄を持っているのにその黒い靴なんだ! 何故にギャル系トップスにOL系ボトムを合わせる! 私はピーコか。でも本当に多いのだ。年齢を問わず多い。
安野モヨコのハッピーマニアの番外編でシゲタが服に悩む話がある。シゲタの気持ちが良く解る。ピーコも同じことを言っていたが、ジャンル違いの物を同時に身に付けるのはナシなのだ。安野モヨコはお洒落漫画家として認知されている。ひうらさとるもそうらしい。私の中では中山乃梨子もだ。漫画家自身の服の趣味は知らないが、実はファッション誌よりも漫画の方が役立つ部分がある。安彦麻理絵の短編のひとつにこんな話があった。「○○先生のあの漫画の××のファッション、いつも恰好いいですね」「ああ、あれは△△に載っているモデルの服をそのまま描いているから」。文章のみでは不可能な、絵も伴う漫画ならではの他所からのいいとこ取りである。先々月KISSを立ち読みしていたら、巻頭でのだめのワンピースのモデルとなっているアーノルドパーマーのワンピースが、読者プレゼントとして写真掲載されていた。そのとき編集サイドからの申し入れで二ノ宮知子がのだめにそのワンピースを着せたのか、二ノ宮知子にのだめのワンピースの実在モデルを訊き出して編集が読者プレゼントとしたのかは不明である。ただひとつ判ったのは、実在のワンピースがのだめ着用ワンピースとされていることだ。
最近になって通称のだめバッグと呼ばれるようになったピアノを模したトートバッグが、楽器屋で前々から取り扱われている。一時期そのトートはのだめ効果で品薄になっていたようだ。非常に可愛いので取り寄せてもらって私も愛用している。安価で実用的で、のだめを知らない他者からも可愛いと褒められるトートだ。一度欲しいと思ったら、手が出ない値段で無い限り私は諦めない。先日やっと安彦麻理絵の漫画に出てきたmilk fedのシンプルなトレーナーをやや予算オーバーしたものの入手できた。欲しいと思ってから数年経っている。その間にやっぱり要らないやと思ったことは無かったのでとても喜ばしい。全体的な雰囲気としては菊ちゃんやツボミのファッションの雰囲気が好きだ。こう書くとフィクションとノンフィクションの区別が付いていないかのようだが、ファッションに於いてはそうではない。漫画家が実在の物からいいとこ取りしているのと同様に、私は漫画からいいとこ取りさせてもらっているだけだ。ファッション誌を読むよりも面白く尚且つ楽をしている。漫画の登場人物も読者も昔と違ってオタク臭を発しているとは限らない。
先日、主治医のところへ行った。週一ペースの通院が基本だが、体調と気分が優れなかった為、中二週ぶりだった。行くとき、待合室で、帰り道、驚いた。人々がジャケットを羽織りつつも寒そうにしていた。マフラーをしている人もいたし、ブーツを履いている人もいた。そういえば自分自身、最近足元に冷えを感じていたし、出かける際はブルゾンを着ていた。この驚いた話をうちのにしたら「黒猫ちゃん、もう10月も半ばですよ。オレらは年末を見て仕事しているよ」と。10月半ばなのは知っていた。私のPCの隣にカレンダーがあり、それがなければチケットも取れない。ライヴにも行けない。けれど私の中では全て数字でしかなく四季とは切り離されていた。浮世離れも程々にしなければと思わされた。主治医に以前言われた。私の諸事情が無くなるときは四季を感じられるようになったときらしい。
BGM/アルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」
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