公道内交差点での勘違い
2003年10月9日 雑感・所感 現在11月2日。
開放された個人サイトのチャットや掲示板に於いて大嫌いな発言がある。「メール出したよ」「メール読んだよ」。これが本当に無神経極まりない物に思われてならない。これに違和感を覚えない者はこの先は読まなくて結構。管理人の意図はともかく、個人サイトは得てして常連同士の馴れ合いとなり易い物である。それでも開放されていれば多くの人がROMをし、また発言したり書き込んだりする。その中で「メール出したよ」「メール読んだよ」という文章が他者に与える印象を考えないのだろうか? 本人たちには、業務連絡的な気持ちでの発言乃至書き込みだと思っているのかもしれない。大間違いである。兎角、www=ワールド・ワイド・ウェブの意味を理解していない者が多過ぎる。半年ROMれ! 行政は至急ネットでの発信者に免許制導入! と訴えたい。私のネット歴は4年強である。PCそのものは仕事の都合上でもっと前から使っていたものの、ネットへの接続及びネットの使い方を教えてくれたのはうちのである。この面に関して、私はうちのに大変に感謝をしている。うちのは私に教えたことで大変な失敗をしたと思っているらしい。そんなうちのをよそ目に、私はずぶずぶのネット依存を満喫している。
ネット上の数多あるサイトでまず教わったのは、某巨大掲示板である。日記をつけ始めてからは極度に回数が減ったものの、今も出入りしている。私のネチケット……という言葉も今更感が漂って恥ずかしいのでネット・マナーとでもしようか、とにかくそれは某巨大掲示板が基準となっている。まずはROMって雰囲気を読む、自分語りは嫌われる、過去ログには目を通す、煽りや荒らしは放置など。けれども小規模サイトではこれらのマナーが通じないところが多い。その中での際立って読めるのが冒頭の「」二種である。基本的に小規模サイト=内輪サイトとなっている現状にあり、その発言は仲間内ではアリなのだろう。しかしながら仲間内だけでなく、他者の出入りを許可していながら基本的には内輪サイトという物が多く、それらは大体性質が悪い。管理人にはサイト管理能力検定を要求したい。行政なり法人なりはこの検定を早急に用意するように。
出入り自由な個人サイトのチャットや掲示板に於けるこれらの発言は、たまに発言する者・書き込みする者にどう読めるかを検証していく。チャットも掲示板も開放されたものである。誰もが読め、誰もが発言・書き込みできる。要は多くの人が集まっている場所なのだ。冒頭の「」は、そこでメールという個人的やり取りの存在を公表していることに他ならない。この人たちは個人的にも付き合いがあるのね、で思考停止する人も多いかもしれないが、少し頭を使えばそれだけに留まらない考え方もできてくる。判り易くチャート式で説明しよう。
チャット内・掲示板内でも会話可能なのにメールのやり取りを公表
↓
そこでは書けない内緒話をしていると宣言しているも同様
↓
その内緒話とはどんな内容なのか
↓
内緒にしなければならない必要がある内容なのではないか
↓
自分を含む他の者の悪口ではないか
これを深読みと一笑するのは能天気な幸せ者か莫迦である。教室内で友人数人と楽しく会話をしているとする。そのときに友人の内のふたりがこそっと内緒話を交わしたのを目にしたとする。気にならないものだろうか? 私ならとても気になる。冒頭の「」にもこの、こそっと、とした雰囲気を感じてならないのだ。実際はリアルでも仲良くしている者同士が今度会う日時を決めようとしているのかもしれない、サイト作成や更新にあたって解らないところを訊くために詳しい者に長文メールで質問・回答をしたのかもしれない。様々な想像ができる。そしてその様々な想像の中に上記チャートのような想像も含まれるのだ。公私混同で楽しいのは当人たちだけであり、その行為が他者を不快にする可能性を秘めていることにも気が付いて欲しい。
wwwであるからには皆の物である、と私は認識している。それは何かのオフィシャルサイトであっても個人サイトであっても変わらない。皆の物を提供し、管理するのが管理人の役割だと思っている。皆の物として提供する上で最も重要なことは、サイト内での約束事を前以って宣言しておくことではないだろうか? 問題が生じてから後手後手に約束事を設定する管理人が多く感じる。先に設定しておけ。また自分基準が過ぎる管理人も多く感じる。先に宣言しておけ。これらの不出来な管理人の脳内は問題が過ぎ去るのを待ち、過ぎ去ったらそれで良しで終了となっているのも多く感じる。そのときの問題で設定した約束事は明記しろ。そもそもこういった形而上の問題ではない。ホームページの作り方、といったサイトや書籍が多いのがまず問題と感じる。必要なソフトとサイト構成の基礎知識だけ得られれば誰でも簡単にサイト開設できてしまう状況は如何なものか。第三者の目に触れるもの・発言や書き込みを許す場所であることへの定義を頭に叩き込んでから開設すべきではないか。
個人サイト管理人の多くは自己主張の強い人間である。主張がなければサイトを開設して自らが進んで何かを発信したがることもないのだから断言していいだろう。主張を発信する権利は誰にでもある。私もここでこうして発信しているし、某巨大掲示板などへの書き込みで発信することもある。権利には伴う義務がある。私はここにせよ某巨大掲示板にせよ、明記された約束事は守っている。ある程度空気も読んでいる。個人サイトに於いてはどうか。約束事の明記がない。そして空気が管理人基準なので読むのが困難である。管理人基準結構。しかしながらそれはwwwの定義に基づくものでなければならず、その定義を崩すものであってはならないのではないか。憲法・法律・条令の関係に等しいと私は考える。アダルトサイトなどを除き、世界中に張り巡らされた蜘蛛の糸を辿ることは誰にでも許されている。いわば公道である。その公道には公の道と定義がなされている。その公道上に多くの交差点がある。この交差点が各サイトなのではないか。公道に沿って建てた私宅や私道と勘違いしている者には今一度、自分の場所を見直していただきたい。
開放された個人サイトのチャットや掲示板に於いて大嫌いな発言がある。「メール出したよ」「メール読んだよ」。これが本当に無神経極まりない物に思われてならない。これに違和感を覚えない者はこの先は読まなくて結構。管理人の意図はともかく、個人サイトは得てして常連同士の馴れ合いとなり易い物である。それでも開放されていれば多くの人がROMをし、また発言したり書き込んだりする。その中で「メール出したよ」「メール読んだよ」という文章が他者に与える印象を考えないのだろうか? 本人たちには、業務連絡的な気持ちでの発言乃至書き込みだと思っているのかもしれない。大間違いである。兎角、www=ワールド・ワイド・ウェブの意味を理解していない者が多過ぎる。半年ROMれ! 行政は至急ネットでの発信者に免許制導入! と訴えたい。私のネット歴は4年強である。PCそのものは仕事の都合上でもっと前から使っていたものの、ネットへの接続及びネットの使い方を教えてくれたのはうちのである。この面に関して、私はうちのに大変に感謝をしている。うちのは私に教えたことで大変な失敗をしたと思っているらしい。そんなうちのをよそ目に、私はずぶずぶのネット依存を満喫している。
ネット上の数多あるサイトでまず教わったのは、某巨大掲示板である。日記をつけ始めてからは極度に回数が減ったものの、今も出入りしている。私のネチケット……という言葉も今更感が漂って恥ずかしいのでネット・マナーとでもしようか、とにかくそれは某巨大掲示板が基準となっている。まずはROMって雰囲気を読む、自分語りは嫌われる、過去ログには目を通す、煽りや荒らしは放置など。けれども小規模サイトではこれらのマナーが通じないところが多い。その中での際立って読めるのが冒頭の「」二種である。基本的に小規模サイト=内輪サイトとなっている現状にあり、その発言は仲間内ではアリなのだろう。しかしながら仲間内だけでなく、他者の出入りを許可していながら基本的には内輪サイトという物が多く、それらは大体性質が悪い。管理人にはサイト管理能力検定を要求したい。行政なり法人なりはこの検定を早急に用意するように。
出入り自由な個人サイトのチャットや掲示板に於けるこれらの発言は、たまに発言する者・書き込みする者にどう読めるかを検証していく。チャットも掲示板も開放されたものである。誰もが読め、誰もが発言・書き込みできる。要は多くの人が集まっている場所なのだ。冒頭の「」は、そこでメールという個人的やり取りの存在を公表していることに他ならない。この人たちは個人的にも付き合いがあるのね、で思考停止する人も多いかもしれないが、少し頭を使えばそれだけに留まらない考え方もできてくる。判り易くチャート式で説明しよう。
チャット内・掲示板内でも会話可能なのにメールのやり取りを公表
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そこでは書けない内緒話をしていると宣言しているも同様
↓
その内緒話とはどんな内容なのか
↓
内緒にしなければならない必要がある内容なのではないか
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自分を含む他の者の悪口ではないか
これを深読みと一笑するのは能天気な幸せ者か莫迦である。教室内で友人数人と楽しく会話をしているとする。そのときに友人の内のふたりがこそっと内緒話を交わしたのを目にしたとする。気にならないものだろうか? 私ならとても気になる。冒頭の「」にもこの、こそっと、とした雰囲気を感じてならないのだ。実際はリアルでも仲良くしている者同士が今度会う日時を決めようとしているのかもしれない、サイト作成や更新にあたって解らないところを訊くために詳しい者に長文メールで質問・回答をしたのかもしれない。様々な想像ができる。そしてその様々な想像の中に上記チャートのような想像も含まれるのだ。公私混同で楽しいのは当人たちだけであり、その行為が他者を不快にする可能性を秘めていることにも気が付いて欲しい。
wwwであるからには皆の物である、と私は認識している。それは何かのオフィシャルサイトであっても個人サイトであっても変わらない。皆の物を提供し、管理するのが管理人の役割だと思っている。皆の物として提供する上で最も重要なことは、サイト内での約束事を前以って宣言しておくことではないだろうか? 問題が生じてから後手後手に約束事を設定する管理人が多く感じる。先に設定しておけ。また自分基準が過ぎる管理人も多く感じる。先に宣言しておけ。これらの不出来な管理人の脳内は問題が過ぎ去るのを待ち、過ぎ去ったらそれで良しで終了となっているのも多く感じる。そのときの問題で設定した約束事は明記しろ。そもそもこういった形而上の問題ではない。ホームページの作り方、といったサイトや書籍が多いのがまず問題と感じる。必要なソフトとサイト構成の基礎知識だけ得られれば誰でも簡単にサイト開設できてしまう状況は如何なものか。第三者の目に触れるもの・発言や書き込みを許す場所であることへの定義を頭に叩き込んでから開設すべきではないか。
個人サイト管理人の多くは自己主張の強い人間である。主張がなければサイトを開設して自らが進んで何かを発信したがることもないのだから断言していいだろう。主張を発信する権利は誰にでもある。私もここでこうして発信しているし、某巨大掲示板などへの書き込みで発信することもある。権利には伴う義務がある。私はここにせよ某巨大掲示板にせよ、明記された約束事は守っている。ある程度空気も読んでいる。個人サイトに於いてはどうか。約束事の明記がない。そして空気が管理人基準なので読むのが困難である。管理人基準結構。しかしながらそれはwwwの定義に基づくものでなければならず、その定義を崩すものであってはならないのではないか。憲法・法律・条令の関係に等しいと私は考える。アダルトサイトなどを除き、世界中に張り巡らされた蜘蛛の糸を辿ることは誰にでも許されている。いわば公道である。その公道には公の道と定義がなされている。その公道上に多くの交差点がある。この交差点が各サイトなのではないか。公道に沿って建てた私宅や私道と勘違いしている者には今一度、自分の場所を見直していただきたい。
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