このタイトルから連想する物は人によってかなり違うだろう。或る者はボディビルを思うかもしれない。或る者は猫耳娘を思うかもしれない。私にとってはピアッシングである。かつて性に貪欲だった頃、Mとして本領発揮できていた頃、私は左右のラビアにリングのピアスを入れることに憧れていた。そのリングに南京錠を付け、鍵をご主人様たる人に管理していただくのが夢だった。自らの意思による性行為の禁止がされたかったのだ。当時の私は今以上に、他者の支配下に置かれることを好んでおり、その象徴としてのピアスと南京錠だったのだ。実際にピアッシングするには至らなかった。チキンである。場所が場所だけに自分で開けるには無理があり、有名ボディピアス屋を調べたりホールが安定する迄の期間を調べたりもした。都内にそのピアス屋はあり、ホールの安定には10日もあればいいらしい。それでもやはり未知なる場所に開けることが怖かった。耳のピアスホールが安定する迄に、私は5週間を要した。耳朶が厚いのだ。耳には左右にひとつずつ高校時代に皮膚科で開けた。その後、左にもうひとつ開けようと友人に頼んで市販のピアッサーで開けてもらったのだが、ファーストピアスを外して1日ピアスの装着を忘れただけで閉じてしまった。再度開けようと思ったのは4年前。同じくピアッサーで開けるよう、うちのに頼んだが上手く力を入れられなかったようで貫通に至らず失敗に終わってしまった。今も私のメイクボックスには耳朶用のピアッサーがひとつ眠っている。また使いたくなってきた。ピアッサーでホールを作るのは実は余り感心できない。上記のように失敗に終わることもある。しかしそれ以前にピアッサーや安全ピンや針で開けようとする者の多くは、ピアスに関するちゃんとした知識を持たずに興味半分であることが多く、それ故に事後管理が下手で化膿させてしまいがちなのである。最も確実且つ安全なピアスホールの作り方は、慣れた者にニードルを貫通させてもらうことである。ホールが曲がることもなく、痛みも少なく、治癒も早いらしい。らしい、というのは私にニードルで開けた経験がないからである。

 性欲皆無の今も、ラビアピアスへの憧れは残っている。いや、それが性欲復活の糸口になるかもしれないという希望でもある。私の理想は、左耳にふたつ・右耳にひとつ・左右の乳首にひとつずつ・左右のラビアにひとつかふたつずつ、そしてクリトリスとフードの間にバーベル型ピアスを入れることだ。この理想は今も昔も変わっていない。見えない場所、そんな場所に入れていることを人に知られると恥ずかしい場所に入れたいのだ。因って舌や臍へのピアスには全く関心がない。倒錯性癖のなせる業なのだろう。倒錯結構。それで自分が気持ち良ければ、それで性欲が戻ってくれば一向に問題ない。昔、ピアスを入れる勇気はなかったが、剃毛をしていた時期は何度かある。動機は上記恥部へのピアッシング欲求と同じである。あるべき場所にあるべきものがないことだけで快楽へと繋がっていた。また体型的にもない方が似合っていた。天然のパイパンは本当に羨ましい。一度剃ると、その状態を保つには苦労が伴い、再び伸ばすには苦痛が伴う。

 女性器へのピアッシングは、思い立ったらいつでも、とはいかない。やはり月経期は避けるのが懸命である。ホールを安定させる為に清潔を保つことは必須だからだ。また部位を問わずピアスを入れるには、秋冬がいい。梅雨時期に入れるのは莫迦の極みだと思っている。乾燥した季節の方が、湿った季節よりも化膿し難いのは自明の理だ。話が逸れた。物事には計画的に進めるべきことと、勢いでやってしまった方がいいことがあると思う。ピアッシングは後者ではなかろうか。もし後悔したとしてもホールの拡張さえしていなければ、暫くピアスを装着しなければ若干痕は残るもののホールが閉じるのだから取り返しもつく。剃毛も然り。数ヶ月もすれば元に戻る。刺青とは違い、共にお手軽でフォローのできる肉体改造。ふと思い出した。以前働いていた職場で、行き詰まりを感じたら剃毛をする、と言っていた後輩がいた。因みにそれは男性だった。ピアスは運命を変えるというまじないじみた考えに基づいて、悪いことが続くとピアスを入れるという者もいる。両方ともやはりお手軽な気分転換なのだろう。

 刺青を入れたい気持ちがない訳ではない。これは谷ナオミからの影響である。彼女は日活ポルノの看板女優であり、団鬼六のお気に入りであった。個人的に彼女は静子夫人のイメージではないのだがそれは余談である。余談ついでに世間での刺青と入墨の混同はどうにかならないものかと思う。話は戻り、彼女は今、背中一面にそれを背負いつつ九州でスナックを経営しているらしい。墨を入れたのは、もう人前では脱がないという覚悟の象徴としてだという。この潔さは気持ちいい。私も入れるならば背中一面に入れたいと思う。小さな機械彫りならば入れない方が余程マシだ。手彫りでなければロマンを感じることはできない。刺青を大きく入れるには並々ならぬ苦痛が伴うと聞く。一針一針を深く刺し、色を安定させる。チキンな私は、針を深く刺すと聞いただけで何もしていないのに痛くなってくる。痒みとは痛みを和らげたものである。痛みが引いてくると今度は痒くなるらしい。痒いとき、人間は無意識に掻いてしまうことがある。刺青でそれをしてしまうと修復できなくなるし、また膿んでしまったりもする。なので両手両足を縛ってその痛みや痒みに耐える人もいるらしい。とてもではないが、私には耐えられそうもない。なのでお手軽な方向に走る。

 うちのと付き合い始めたのは10月だった。少し経ち、クリスマスプレゼントの話が出てきたのは自然な流れだろう。私はプレゼントとしてラビアピアスを要求した。うちのは難色を示した。尤もだ。ノーマルな性癖の持ち主であるうちのにとって、理解しづらい要求だったことは想像に難くない。難色を示したうちのに説得を続けた甲斐あり、うちのは理解してくれた。そこで挫折。理解を示してもらい、いつ入れにいこうか、と現実的な話になってきたときに私が怖気づいてしまったのだ。結局は指環に落ち着いた。クリスマスは来月に迫ってきている。再度説得をして、今年こそはピアッシングを現実のものとしようか。しかしピアスを入れても性欲が戻ってこなかったら非常に無駄な気もする。手始めに剃毛をしてみようか。しかし今それをすると、年末年始のうちのの実家への帰省で温泉に誘われたときに困るだろう。ピアスはホールさえ安定してしまえば外せるのでともかく、剃毛の方はうちのの性癖と誤解されそうである。見知らぬ人に見られるのは構わないが、身内同然の人に見られるのはやはり困る。今、勢いづいてきてはいるのだが、さてはてどうしたものか……。

BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」「桜の森の満開の下」

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